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「この世のあり様は過ぎ去るからです」 コリントの信徒への手紙その一、第7章31節

この世にクリスチャンとして生きていることは難しいです。主イエスキリストも、この世に殺されました。世界は安定ではないです。どこでも不安が溢れていて、戦争や飢饉や災難や、色々予言されたことが新聞に満ちています。まさにイエスの予言の通りです。見よ、それらは全てが実現してしまい、その後はイエスの再臨のみです。天地は着物のように古くなり、その終わりが来ます。

ですから今はいわゆる終わりの時代で、そして困難の時も来ます。人々の心は悪に満たされ、罪だらけになります。西側の国々は光栄あるクリスチャンの伝統を捨てて人の欲望に屈し、東の方なら神とクリスチャンに対して不信仰と敵対はまた深くまります。まことのクリスチャンはどっちに居ても、迫害が受けていくはずです。「そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。」聖書はそう書いています。これは、この世の現実ではありませんか。

世人よ、醒せ。神を信じないを始め、自分の罪を覚えて、この世の様子を考えましょう。もうすぐこの世は終わります。そして私たちはどこに向かって行きますか。人間は自分の手で、罪を犯し、神の怒りを真似ています。神の寛容が尽きたら、裁きが来ます。人間は自分の罪を地獄の火と引き換えます。これは、誰でも出会いたくないことです。

イエスキリストは罪人のために十字架につけられ、血を流して死んでくれました。多分これは十字架を見るところに覚えます。しかし、これは終わりではなく、イエスは死んだ後、葬られ、そして三日目に復活しました。そうです、イエスキリストは死から蘇りました。イエスは命の主です。彼は我らの罪のために殺されたが、また、我らの新たな命と生活のために蘇りました。

誰もが神の独り子であるイエスを信じれば、この罪の世から救い出されます。「独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」と聖書が教えてくれます。この世は過ぎ去り、人の頼りは消えゆき、ただ神は我ら唯一の希望です。今はまだ寛容の日々、神の怒りの前に、悔い改め、神を信じなさい。そうすれば、神の愛に満たされ、この世が滅びても、永遠なる神の天国に私たちは生きます。

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