日記。平成26年11月25日
慕いまつる主なるイエスよ
I
慕いまつる主なるイエスよ、捕え給え我を
道に迷い疲れ果てし、弱きしもべ我を
II
風はつのり夜は迫る、されど光見えず
御手を伸べて助け給え、恵み深きイエスよ
III
胸の内に安きあらず、今か息も絶えなん
近く在して聞かせ給え、愛の御声我に
IV
答え給え主なるイエスよ、叫び祈る声に
起こし給え立たせ給え、倒れ沈む我を
主なるイエスよ、助けよ今ぞ
新聖歌百九十一番で、「Precious Lord, take my hand」という賛美歌の和訳です。あらいやまで通用する賛美歌のうちには二百四十七番です。あらいやまの教会は今まさに波乱の真中で、愛を唱えるものは憎しみあい、聖なる祭壇に豚の姿みさせることもあるそうで、本当に安らがない時期になります。
神を信ずるものよ、人間に対する信用はいずれ傷を与えるのでしょう。私たちにとって、信じたら絶対裏切ってくれない方は、我らの主イエスキリストだけです。世はいかに嵐の踊り場になるとも、神は我らの手を繋いだら、我らは天の境界にいます。イエスを主として仕えるものは、なぜ争っています。手を差し伸べたら、イエスに触れますか。力を付けて、神の認可が得ますか。いいえ、私たちはただ弱きもので、道に迷いやすいし、ちょっと苦労したらすぐ疲れ果てし、神にとって、まことにどうでもいいの存在です。神は、狂気なやつに傾けず、天に座ってあざ笑われます。
教会は大きくすることはふさわしくありません。会堂も人数も増えましても、みなの心は謙遜にしなければなりません。みなは大きなこと、偉いなことをしなくても大丈夫と思っています。ただ日頃に、日常で、私たちはイエスの姿を感じ、真似って御霊の導きを従い、安らぎの中に日々を過ごせばいいと思います。同じくイエスの名を信ずると自称するものは、味方は正しい相手は間違いとして邪教までいい攻めます。本当に、イエスの弟子の姿か。
答えは残念な「はい」です。イエスはこの世に集まった弟子たちも争うことがありました。しかし、正しいものはイエスのみ、望むべきものもイエスのみ、それでいいではありませんか。
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